山崎清裕の目次

山崎清裕の不倫功績

ーいま、私は完全に躁状態です。MAX・SEX、すごいじゃないですか。全てが光。そう、今なら全てを話せる。ここに私の贖罪を書き記します。ー

私、山崎清裕は、これまで数えきれないほどの不倫を繰り返してきました。軽く300は超えているでしょうね。スパルタもびっくりです。正直、もう何度目かも覚えていません。まさに不倫のプロフェッショナル。娘が生まれたばかりのその瞬間にも、妻と娘を置き去りにして、20歳の若い女と温泉旅行に興じていました。何度もセックスしました。何度も心の中で「こんなことしても大丈夫かな。うん、もっとセックス」と自分を納得させていたのです。妻には「仕事だ」と言って、友人たちにも口止めしていたのに、最終的にはその友人たちのことも裏切ってしまいました。笑
気づけば、どこまでが真実でどこまでが嘘か、わからない世界に入り込んでいました。もう、まさに「てへぺろ^^」の一言で片付けられる問題ではないことにもっと早く気づくべきでしたが、今となっては笑い話です。(笑えてない)    


医師になった途端、私は急にモテモテになったのです。まるで夢のようでした。医学部を卒業するまでは、女性に見向きもされなかった私が、急にそこまで可愛くもない看護師たちにちやほやされ、まるで世界が私のために回り始めたかのようでした。錯覚に陥り、当然私は一人の女性に満足できなくなってしまいました。


「with」「ペアーズ」「タップル」「omiai」「Bridal net」「アンジュ」「ゼクシィ 縁結び」「マリッシュ」(「東カレ」は私には眩しすぎてチキってしまいました汗) とにかくマッチングアプリを片っ端から入れまくりました。スマホも急いでもう一台契約したのです。金で釣って遊んでいた女性たちの中には、結婚を本気で考えていた女性もたくさんいました。それでも私はそんなことには脇目も振らず、ただ自分の欲望を満たしていたのです。それが気持ちいいのです。医者になってよかったです。妻の瑞穂も娘の凪愛のことも友人らも全て裏切り、最後に残ったのは一体なんなんでしょうか。ブスな彼女たちとの肉欲的なセックスとその快楽の余韻は香りだけです。


これまでの人生で、女性からモテたことなんてなかった私は、この新たな世界に酔いしれていました。妻と娘がいるにも関わらず、私は次々と二流三流の女性と関係を持ち、まるで自分が世界で一番モテる男だと勘違いしていました。いや、今もそう思っています。生物としての雌[メス]が必要なのです。 今思えば、あの頃は完全に自分を見失っていました。こんな私を許してくれるはずはないことを痛感しながらも、あの時の私は妻と娘の顔を思い浮かべながら行為に及ぶといつもより気持ちよかったです。ただただ快楽に溺れていたのです。いや、今もそうかもしれません。心の奥底で懺悔の気持ちを抱えながらも、私はこの言葉をここに記します――これが私の過去と現在です。

山崎清裕の家族への数々の裏切り行為

娘の凪愛が生まれてからもたくさんの女性と関係を持ちました。だって、妻が妊娠している間はエッチできないじゃないですか。そして、妻はあまり可愛くないです。まあ世間一般で言えばブスです。歯並び悪いし笑 でも、私が死にそうになった時はいつも助けてくれたんです。エッチの時は声がうるさくて鼓膜が破けるかと思いました。将来は凪愛と3人で3Pしようねと3人で寝ながらいつも話していました。はい。娘のこともいつも性的な対象として見ています。
私はこれまで、自分の行動を深く反省しています。特に、妻と娘がいるにもかかわらず、自分の欲望に流され、家庭を顧みずに他の女性と関係を持ったことは、今思えば本当に愚かなことでした。もちろん、妻は私にとって大切な存在であり、私が最も辛い時や困難な時に支えてくれたことを、今でも感謝しています。
その後も、私は家庭を大事にしようと考えつつ、内心では矛盾した気持ちを抱えていました。妻との関係には多くの試練がありましたが、彼女もまた、私の不安定な心を理解しようとしてくれたことを忘れません。
私の行動がどれほど無責任だったか、今更ながらに感じています。この文章を通じて、私の過ちを少しでも反省し、これからの人生においてより良い人間になりたいという気持ちを表明したいと思います。

山崎清裕の結婚詐欺編

精神科医としての深い洞察力を持つ私は、ただの医師としての器ではなかったのです。むしろ、人間の心の奥底に潜む欲望や不安、葛藤を一瞬で見抜く力を持っていました。その力を活かし、私は数多くの女性たちを巧妙に口説き、結婚を迫らせてきたのです。
アプリで出会った女性たちを片っ端から落としていくことにかけては、かなりの自信があります。出会い系アプリの世界では、私の名前はまるで伝説のように広がっており、どんな女性も一度私のプロフィールを見れば、必ず心を奪われてしまいます。早い話、ネット弁慶なのです。リアルでは何もできません。ところで、私は決して派手にアプローチするタイプではありません。写真も、わざと控えめに見せるようにしています。過度に自分を飾ることはしません。それが逆に女性たちの興味を引くのでしょう。控えめに見えるからこそ、逆に話してみたくなるのです。
最初に送るメッセージも、特に自分を売り込むようなものではありません。「こんにちは、〇〇って名前です。あなたのプロフィール、面白いですね」といった感じで、軽くスタートします。しかし、そこからが私の腕の見せどころです。相手のメッセージにはすぐに反応し、どんどん会話を深めていきます。女性が何を欲しているか、何を感じているか、私はすぐに見抜くことができます。それが私の心理操作のコツです。       

      


「あなたって、いつもそんなに優しいんですね?」と、さりげなく相手の心の隙間に触れてみます。すると、女性たちは次第に心を開いていきます。私の言葉はまるで、相手の心の鍵を開けるかのようで、女性たちは安心し、深層を語り始めます。それが楽しくて仕方ありません。会話が深くなり、まるで何年も一緒にいるかのような親密さが生まれます。私は焦らず、あくまで自然に関係を深めていきます。相手が求めている「理想の彼氏」を演じることが得意なので、女性たちはどんどん私に引き寄せられていきます。 そして、あるタイミングでさりげなく「一緒に将来を考えてみませんか?」と投げかけるのです。女性たちは自然に「結婚したい」と言い出します。あの瞬間は、まさに私にとっての勝利の瞬間です。全て計算通りなのです。女性たちは皆献身的です。彼女らの自宅は好きな時に使って良いと合鍵を渡され、無料の宿泊施設として利用していました。勝手に料理も作ってくれます。妻の瑞穂のものよりとても美味しかったです。まだまだですね、瑞穂。
しかし、これが終わりではありません。次々と新しいターゲットを見つけ、また同じ手法で心を掴んでいきます。その手際の良さは、もはや名人芸のようなものです。女性たちはみんな、私の「理想の未来」を信じ、結婚を口にします。しかし結局、私が求めているのは結婚などではなく、次から次へと新しい女性を迎え入れる「ゲーム」を楽しんでいるに過ぎないのです。

       


私にとって、女性たちが自ら結婚を口にする瞬間こそが、私にとっての勝利であり、私が自分の持つ心理学的な力を巧みに駆使して、まるでパズルのピースをはめるかのように形作った結果そのものなのです。しかし、その勝利が、果たして本当に幸せをもたらすのか、それはまた別の話のようですね。

山崎清裕、精神疾患を用いた詐病の巻

私は精神科医として、心の奥底に潜む闇を見抜く術を学びました。しかし、それは患者を救うためだけに使われるものではありません。時にその知識は、自らのために、そして世の中を巧みに渡るための武器ともなり得ます。診断書――それはただの紙切れ一枚に見えますが、そこに記された言葉には重みがあります。法の網をすり抜ける「免罪符」としての力が、そこに宿るのです。 これまでもお世話になった札幌医科大学や砂川市立病院をはじめとしたたくさんの病院やクリニックを欺いて大胆かつ太々しく退職してきました。精神科医の親友である天才「山本雄才」はいつも困ったときは「どんどん診断書を書いてもらえ」と助言してくれます。そうそう、上掲の診断書もまさに天才精神科医「山本雄才」がアドバイスしてくれたんです。やってることはクソ以下ですよね。笑
話を戻しましょう。例えば、一度私に「双極性障害」の診断が下るとします。その瞬間、私は世間の「正常」というフィルターを超越した存在となります。過去にどんな失態を犯そうと、それは「病気がさせたこと」として片付けられます。さらに、法的な責任も曖昧になり、社会的な非難の矛先も鈍ります。どれだけ他者に損害を与えたとしても、請求される損害賠償責任は全て”やむを得ない事由”としてその一切が免除されるのです。なんて便利な! 私は、医学の力と自らの肩書きを駆使し、世の中の「正しさ」から巧みに身を守ってきたのです。娘の凪愛も同じように逞しく育って欲しいですね。


診断書を書く際には、言葉を選ぶのにも細心の注意を払います。一言一句が、相手の心を動かし、法律の解釈を揺さぶる鍵となるからです。「情緒不安定」という言葉を使えば、たちまち人々の同情を買い、「責任能力が不十分」と記せば、私の行動は突然、裁かれにくいものとなります。それはまるで、ペン先に法と倫理の境界を操る力が宿っているかのようです。
もちろん、これらを使うには大胆さと繊細さのバランスが重要です。診断書一枚で世の中を欺くことは、簡単なことではありません。ですが、私はその技術を、患者の治療に使うことはなく、自らの立場を守る盾として活用してきました。そして、いつしか私は、診断書が「現代の魔術書」であることに気付いたのです。書かれた言葉は法律をもねじ曲げ、時に真実さえも書き換える力を持つのです。
私はペン一本でこの世界のルールを書き換える術を手にしたに等しい存在です。私はキラです。私が描くのは、ただの「診断」ではありません。それは私山崎清裕という人物の物語を、社会がどう受け入れるかを巧みに操作する「脚本」なのです。そして、私自身がその主役であり、監督でもある――その物語を演じながら、私は今日もまた新たなシーンを書き加えていくのです。 


私は診断書の力を知ったその日から、それをただの紙切れとは思えなくなりました。診断書をひとつ手にするたび、それは私の人生を少しずつ軽く、自由にしていく魔法の鍵のように感じられたのです。その鍵を使えば、閉ざされた扉は次々に開き、望むがままに環境を変え、煩わしい束縛から抜け出すことができました。
例えば、職場でのストレスが重なった時。普通の人なら悩み、耐え、最終的に辞めるか戦うかを選ぶでしょう。しかし私にはもっと洗練された道がありました。「適応障害」の診断書を出せば、誰もが私の決断に異を唱えることなく、むしろ同情すら寄せてくれる。周囲は私を責めるどころか、「仕方がない」と退路を整えてくれるのです。
次の職場に移る際も、何か問題があればまた診断書。心の病という見えない盾を掲げれば、批判の矛先はいつもぼやけていく。こうして私は幾度も職場を変え、時には同僚や上司、患者に迷惑をかけたかもしれません。しかし、正直言って、それがどうしたというのでしょう。人はみな、自分の人生をより良く生きるために手段を選ぶものです。私はただ、その手段を一歩先に進めただけのこと。 もちろん、「またか」と思われているかもしれません。けれども、その「またか」を上回る診断書の力がある限り、私にとってそれはささいな問題でしかありません。むしろ、笑顔で「お世話になりました」と言い残し、次なる冒険に心を躍らせるほうが性に合っているのです。
世の中には、規則や義務に縛られて生きる人がたくさんいます。でも私は、診断書を手に、そうした束縛から抜け出す術を心得ています。これを責める人もいるでしょうが、私はただ「人生を楽しむための知恵」として使っているだけ。そう思うと、迷惑をかけたという意識も薄れ、むしろこの巧妙さを楽しんでさえいる自分がいます。人は自由に生きるためにどれだけの知恵を使うか――その問いに、私は診断書という答えを見つけただけなのです。これからもきっと、その力を使いながら、自分だけの道を切り開いていくでしょう。笑顔で、軽やかに、何も気にせずに。


もちろん、こんな風に診断書を駆使して生きてきた私ですが、時には自分自身の「診断」が必要になることもありました。実を言うと、私は過去に何度も自殺を試みたことがあるんです。いや、正確には「試みた」と言っては語弊があるかもしれませんね。実際には、そうした試みを友人たちに話し、自慢げに「ほら、俺、こんなに追い詰められてるんだよ」と語り続けていたんです。友人たちは最初こそ真剣に心配してくれました。「大丈夫か?」「俺たちがついてるから」と口々に言い、何かあるたびに手を差し伸べてくれました。でも、次第にその反応が変わってきたのです。「またかよ」とか、「それ、本当にやる気あんの?」とか、時には苦笑交じりに流されることも増えていきました。私はそのたびに「こんなにも孤独なんだ」と内心さらに自分を哀れんだものですが、ふとした瞬間に気づいてしまったのです。
「あれ?これって、もしかしてミュンヒハウゼン症候群なんじゃないか?」と。そう、私は自分自身で自分を診断してしまいました。他人の同情や注目を引くために、自ら傷つくことを選び、それを飾り立てて語る。私がこれまで患者たちに何度も説明してきた症状が、実は自分にも当てはまるとは思いもしませんでした。でも、その自覚をした時、私は笑ってしまいました。なんだ、結局私は患者の一人に過ぎなかったんだ、と。そう思うと、少し肩の力が抜けた気がします。診断書を使いこなしてきた私が、最後には自分の心の病を自分で診断する――皮肉な話ですが、これもまた私らしい結末なのかもしれません。そして、それを自慢げに語る私は、きっとこれからも変わらないのでしょうね。

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